「滞納が続いている入居者がいて厄介だなあ。保証会社を利用せずに契約してしまったから管理会社に立ち退きしてもらうしかないけど、そもそも立ち退きできるのかもわからないし、費用もどれくらいかかるかわからないなあ。」
このように、家賃の滞納・マナー問題・建て替え計画などによる入居者の立ち退きを考えたこのある大家は多いのではないだろうか。
特に滞納やマナー問題による場合、精神的にも肉体的にも消耗してしまうため早期に賃貸借契約を解約できれば良いが、現在の法令や判例では借主の権利が保護される傾向にあり、大家側からの解約は簡単ではないのが現状である。
立ち退き交渉をこれから始めようと考えているのであれば、基本的な知識と実例を事前に頭に入れておくことで、現場での交渉時に臨機応変に対応できるようになるだろう。
ここでは、大家の代理人として数々の立ち退き交渉をおこなってきた筆者の経験や知識をもとに、立ち退き現場の実例を紹介する。
目次
法律に関して
はじめに、法律関係について説明しておこう。
建物の賃貸借契約に関しては、民法と借地借家法が関係してくる。
賃貸契約の基本的な考え方となるので、念のためここで説明しておく。
民法について
不動産の賃貸借契約に関する内容は、民法601条から622条まで記載されている。
第601条 賃貸借は、当事者の一方がある物の使用及び収益を相手方にさせることを約し、相手方がこれに対してその賃料を支払うこと及び引渡しを受けた物を契約が終了したときに返還することを約することによって、その効力を生ずる。
この条文を不動産の賃貸借契約に置き換えると、賃貸人が住戸の利用を約束する代わりに賃借人は家賃を払い、契約終了時には住戸を明け渡さなければならないということになる。
民法では、賃貸借契約の概念や基本的な決まりを記しているが、建物の賃貸借契約という実務的な部分まではカバーできていないため、次に出てくる借地借家法が用意されている。
借地借家法
借地借家法は賃借人の保護を目的としており、建物の賃貸借契約においては民法に優先して適用される特別法である。
第1条 この法律は、建物の所有を目的とする地上権及び土地の賃借権の存続期間、効力等並びに建物の賃貸借の契約の更新、効力等に関し特別の定めをするとともに、借地条件の変更等の裁判手続に関し必要な事項を定めるものとする。
今回のテーマである、賃貸借契約の更新や解約に関しては第26条から28条に記載があるのでここへ添付しておく。
必要な部分だけ要約すると、賃貸人からの解約の申し出は期間満了の1年前から6ヶ月前までに通知しなければならないが、借主が同意した場合か建物の利用状況や賃貸借契約に反する内容がある場合などでなければ認められないとなっている。
賃貸借契約に関して
民法や借地借家法をもとに建物賃貸借契約書があり、法律よりもより生活に則した詳細な内容まで記載してあり、当事者間での決まり事やお互いの義務が明記されているため、立ち退きを考える際にはまず建物賃貸借契約書の記載事項を確認する必要がある。
賃貸人の義務
賃貸人が負う義務は大きく分けて2つある。
①民法601条に定められている、「当事者の一方がある物の使用及び収益を相手方にさせることを約し」の部分がここにあたる。
②修繕義務
上記民法601条の文言にも修繕義務の意図は含まれるが、賃貸借契約書に明確に記載されているためこちらを引用する。
内容を要約すると、住戸の通常使用をするにあたって必要な修繕は賃貸人がおこなう義務があり、賃借人は正当な理由がなければ拒否できないということだ。
賃借人の義務
賃貸人は大きく分けて2つの義務を負うことになる。
①賃料の支払い
当然のことだが、賃料の支払い義務が契約書に明記してある。
②禁止行為
下記記載の内容が一般的であり、禁止行為が明記してある。
禁止行為の中で、第8条3項の記載にあるようにモラルやマナーに関わる部分については、人によって感覚が違うためトラブルとなりやすい。
賃貸人が立ち退きを考える要因の一つである、マナー問題のトラブルがここにあたる。
では、上記の義務を怠った時にはすぐに契約の解除ができるのだろうか。
その答えは次の条文を見ていこう。
契約の解除
賃貸借契約には契約の解除に関する事項も記載されている。
まず初めに、賃借人の義務である賃料の支払いを2ヶ月以上怠った場合には解除できる旨の記載がある。
契約条文上では記載の通りだが、実務上では必ずしも2ヶ月の滞納で解約とはならない。
理由としては、賃借人に支払いの意思と正当な理由があり支払いが遅れながらも支払いを続けている場合があるからだ。
貸主も人間であるため、借主の状況を知り信頼関係が崩れていなければ即解約にはできないという面がある。
では、正当な理由なく故意的に支払いをしない賃借人の場合はどうなるか。
条文より、相当な期間を定めて義務の履行の催促をしたにもかかわらず履行がされない場合は契約の解除ができるとなっている。
ただし、建物賃貸借契約は継続的な契約であるという特性上、賃貸人と賃借人の信頼関係の破壊が解除通知の有効性に影響するため、不払いの回数だけではなく賃借人の状況も加味された上での判断となる。
つまり実務上の解釈では、3ヶ月以上の滞納があり信頼関係を破壊する状況があれば1週間程度の催告期間の後、賃貸人からの解約通知は有効となるだろう。
立ち退きに関する判例
立ち退きに関し、実際に裁判となった事例を要約して紹介する。
賃料不払による家屋明渡請求
賃料不払いを理由とする家屋賃貸借契約の解除が信義則に反し許されないものとされた事例である。
判決日:昭和39年7月28日
裁判所:大阪高等裁判所
【裁判内容の要約】
催告期間内に延滞賃料が弁済されなかった場合であっても、当該催告金額9,600円のうち4,800円はすでに支払われており、その残額は3,000円程度にすぎず、賃借人は過去18年間で今回の延滞を除き賃料の延滞したことがなかった。
その間、台風による家屋の修繕要求をしたが賃貸人側で修繕をしなかったため、賃借人において29,000円を支出して屋根のふきかえをしたが、その修繕費については本訴提起に至るまでその償還を求めたことがなかったという事情があり、賃料不払を理由とする賃貸借契約の解除は信義則に反し許されないものとした。
建物の老朽化と契約解除
建物の老朽化を理由とした建物明渡請求が一定額の支払と引き換えに認容された事例である。
判決日:平成25年4月16日
裁判所:東京地裁
【裁判内容の要約】
建物老朽化を理由に、賃貸人が賃借人に対し建物明け渡しを請求した事案において、建物が朽廃しているとまでは認定できないとして老朽化による無条件解約は認めなかったが、修繕費用が貸主にとって過大な負担になることを考慮し、建物倒壊による危険の回避の為、明け渡しを受け、取壊し等行うことが相当と判断の上、一定の補償と引換えに賃借人に対し建物明け渡しを命じた。
物件が店舗兼住宅であったため、借家権価格・営業保証金・住居補償・引越費用として合計720万円の支払いが認められた。
迷惑行為と明渡請求
公営住宅において、賃借人がした近隣に対する迷惑行為を理由とした明渡請求が認用された事例である。
判決日:平成25年3月18日
裁判所:東京地裁
【裁判内容の要約】
公営住宅において、近隣に対して騒音被害を与えていた賃借人に対し、賃貸人が建物明け渡し請求を行った事案において、賃貸人からの明渡請求を認めた。
賃貸人から迷惑行為中止の要請があったが中止しなかったことが認められ、賃借人は近隣住民からの騒音等の妨害行為を受けてきたと主張したが、仮に賃借人が迷惑行為を受けていたとしてもこれに対抗する迷惑行為をおこなうことは違法であるとされた。
賃借人の協力義務
借主が貸室内の補修工事への協力を行わないことについて、借主に信頼関係の破壊があるとして、賃貸借契約解除が認められた事例である。
判決日:平成30年4月5日
裁判所:東京地裁
【裁判内容の要約】
本件建物の天井部分には、上階の貸室の排水管がむき出しで配置されており、また、本件賃貸借契約には、本件建物の天井部分の配管点検、修理を行う場合は、借主は無条件にて協力(室内の立ち入り及び工事の協力等)するという特約が付されていた。
しかし、賃借人が排水管の入替工事の協力を拒絶したため賃貸人は賃貸借契約の解除と明渡を請求した結果、賃借人が貸室内の配管補修工事への協力を行わなかったことについて、交渉の経緯を考慮し賃借人が信頼関係を破壊したと判断され契約解除が認められた。
テナントビルの契約解除
賃借人による共用部分の電源の無断使用等が悪質行為であるとして、賃貸借契約の解除が認められた事例である。
判決日:平成28年12月2日
裁判所:東京地裁
【裁判内容の要約】
テナントビルの賃借人が、契約条件に違反する看板類の設置や共用電源の無断使用を行
い、是正要請にも応じなかったため、賃貸借契約を解除した賃貸人が、貸室の明け渡し、
看板類の撤去、損害金の支払を求めた。
上記の他、共用部分へのゴミの放置によりエレベーター事故を起こした事実もあり、賃貸人と賃借人の信頼関係が破壊されていたことは明らかであるとされた。
本件はテナントビルの賃貸借において、賃借人の用法違反に基づき賃貸人が行った契約解除の有効性が争われた事案であるが、路上看板が道路交通法に違反するものであるから、仮に賃貸人がその設置を承諾していたとしても、「法令違反を理由にその撤去を求めることは可能であると解される。」との判示は、実務上参考になるだろう。
高額な立退料
近年の判例では、耐震性能の不足等により賃貸人の正当事由が認められた事例において、立退料の金額は非常に高額化しており、その例を紹介しておく。
・渋谷区のスポーツ用品店のテナント立退き
賃料280万円/月に対し、約150ヶ月分にあたる4億2,800万円の支払いを命じた
・中央区の喫茶店のテナント立退き
賃料36万円/月に対し、約277ヶ月分にあたる1億円の支払いを命じた
・都内自宅兼理髪店のテナント立退き
賃料16万/月に対し、約81ヶ月分にあたる1,300万円の支払いを命じた
実例紹介
最後に、筆者自身が経験した立ち退き交渉を紹介していく。
建物の老朽化による立ち退き交渉
上記判例で紹介したような、建物老朽化による立ち退き交渉をおこなったことがある。
約50世帯程の住居と数件の店舗が併設された物件であったが、老朽化が酷く建て替えの必要があったため、賃貸人の代理人として交渉を引き受けた。
その物件は好立地だが古いこともあり賃料が安く、繁華街で働く水商売の方や関係者、外国人、生活保護の方など非常に難しい交渉であったことが印象的だ。
実際の事情でいくと、老朽化というのは事実だが判例にあるほど酷い状態ではなく、まだ人が住むことはできたが開発の計画を進めるための立ち退きだった。
もし仮に賃借人が裁判を起こせばこちらは圧倒的に不利であり、恐らく立ち退きを完遂することは不可能だっただろう。
そういった事情から交渉は慎重におこなわなければならず、スムーズに進めるために賃借人との信頼関係を築き、事情を理解して頂いた上で誠心誠意対応していくという作戦とした。
立ち退き交渉はお金の問題、転居先の問題だけでなく相手の気持ちも理解しながら進めなければいけないということをこの経験から学んだ。
しかし、住居と店舗では大きく事情が異なる。
店舗の場合、移転をすることで営業ができない期間が生まれたり、新店舗の工事や備品の変更に多額の費用や時間がかかったりすることがある。
それに加え、場所が変わることで常連のお客様が来なくなってしまう可能性があるため移転先の選定を含め長期的な交渉となった。
結果的に全世帯の引越し完了まで数年の時間がかかったが、立ち退きを完遂できた大きな理由としては、先に述べた信頼関係の構築と誠意を持って対応したことだろうと思う。
居住用物件の立ち退き料の相場
実は立ち退き費用に相場というものはなく、自身の状況や相手の状況によって大きく変動する。
自身の経験からすると居住用の物件の場合は、次の物件にかかる契約金と引越し費用を含め家賃の3ヶ月分〜6ヶ月分位が着地となっているケースが多い。
事業用物件の立ち退き料の相場
事業用の物件も居住用同様に相場というものはない。
店舗の規模に売上も変わるため、営業保証金の額や移転先の内装費用も大きく違う。
小規模の店舗であれば数百万で合意できる場合もあるが、数千万かかる場合もあるため手元に現金がなければ難しい交渉となるだろう。
まとめ
一口に立ち退きといっても状況によっては賃借人が有利に進められる場合もあれば、賃借人の保護により難しい場合もあるため、法律や判例を参考に自身や相手がどういう状況なのかを整理した上で、冷静な交渉を心掛けることが重要だ。